旅行と登山 3
大雪山にはいずれもう一度訪れる必要がありそうです。
道は熊笹と灌木の中に延びています。
やがて小さな湿地帯が広がっているところに出た。
このあたりは去年、霧の中で道を失った場所に違いありません。
去年は一面残雪で道がはっきりしなかったのだが、今年はほとんど雪は残っていなくて全く別の場所のようです。
天候の違いもあるのだろうと思います。
後ろを振り返ると旭岳のとなりに熊ヶ岳が見えていて、親子のように並んでいます。
沢沿いには可憐なエゾコザクラの花が咲いていました。
大雪山にはいずれもう一度訪れる必要がありそうです。
道は熊笹と灌木の中に延びています。
やがて小さな湿地帯が広がっているところに出た。
このあたりは去年、霧の中で道を失った場所に違いありません。
去年は一面残雪で道がはっきりしなかったのだが、今年はほとんど雪は残っていなくて全く別の場所のようです。
天候の違いもあるのだろうと思います。
後ろを振り返ると旭岳のとなりに熊ヶ岳が見えていて、親子のように並んでいます。
沢沿いには可憐なエゾコザクラの花が咲いていました。
姿見駅から1時間30分、裾合平分岐に着きました。
愛山渓温泉方面と中岳方面の分岐点です。
泥土の小さな広場に分岐を示す案内板が立っているだけのところです。
以前は木のベンチか何かあったのか木材が転がっています。
ここから中岳のほうの道へ進み1時間ほど歩くと中岳温泉という天然の露天風呂があります。
標高1800メートル、ピウケナイ沢上流の谷間に湧く山の湯で、土を掘って岩で囲った簡単な湯船があるだけの温泉だ。
源泉は70~80度あり、沢の水を引き込んで適温に調節するという原始的な温泉です。
以前は山男たちしか利用しなかったそうだが、最近はTVで放映されたり情報雑誌などにも紹介されたりしているので、一般の観光客も増えたようです。
ここで再び食指が動きましたが、愛山渓温泉への道をとります。
登山開始。
案内板にヒグマに充分注意するようにと書いてありました。
この先もお花畑に囲まれた道を歩く。
小さな登り下りを繰り返し、沢状になった雪渓を何度も渡る。
右手にはだんだんと形を変えてゆく旭岳があり、前方には当麻岳から比布岳へと続く尾根が見える。
一般観光客はこのあたりまではあまりやってこないので静かだ。
ところが一人の中年女性が私の後方を歩いていました。
単独でいったいどこを目指しているのであろうか。
この道を進むと沼ノ平を経て愛山渓温泉へ行くか、中岳分岐を通って旭岳か北鎮岳方面へ向かうなどのルートがあります。
それとも旭平の散策路を外れてただ単にこのあたりを歩いているだけなのでしょうか。
格好も軽装です。
当時、演出助手として活躍した故・秋元近史氏(日本テレビエンタープライズ取締役)は、
「つりものを飛ばし、車を付けたセットを両わきにさばいてスピーディーな展開にし、見事なテンポと構成力を発揮しました。けいこはスパルタ教育で、やることはきびしくやった」と語ったそうです。
井原氏はアメリカで見学してきたものを"日本ナイズ"し、スタジオNO.1ダンサーズという躍動感あふれる踊りも育成した。
35年12月25日、138回で放送を終了。
半年後「シャボン玉ホリデー」に引き継がれたが、脚本・構成者やゲスト・タレントにも一流人を招き、当時の中流以上のテレビ受像機所有の家庭に大いに歓迎されました。
当時の日本のテレビ音楽番組は舞台の模倣であり、スタジオの壁面の側にセットが組まれ、タレントはセットに張りついて動き、カメラはスタジオの真ん中にあって撮っていました。
ところが、アメリカではカメラをスタジオの真ん中の一番いい場所に鎮座させず、歌っている人、踊っている人が一番条件のいい場所にいて演技していたので、井原氏は早速この方法を採り入れた。
そして画面に華やかさとリズム感を加え、全体に流動感があふれるようにした。
「光子の窓」は、昭和33年5月11日から毎週日曜午後6時30分から7時まで放送しました。
木の葉越しにモダンな洋風の窓、窓が開くと、草笛光子が顔をのぞかせ、次のように歌って始まるミュージカル.バラエティーだった。
「窓を開けましょう花の香りがあなたのほほえみを運んでくれる("割りどんちょう"前の光子の家スルスルと横に動く)夢を語りましょう甘いリズムがあなたの思いをかなえてくれる」歌も踊りも演技も、三つともできた草笛光子が起用され、彼女の明るい性格が出たタレント・ショーであり、34年初期までは、どちらかというと、東宝ミュージカル調であったが、「34年1月から約1か月の最初の渡米が、一つの転機となって、34、35年の大部分は『ペリー・コモ・ショー』スタイルに変わってしまった」
と、井原氏は述べていたそうです。
こんにちは。前回の続きです(^o^)ノ
「光子の窓」
「バンド演奏の前で歌手がうたうのをブラウン管に写してみせる音楽番組にあきたらず、思い切って画面をグラフィックな構成にし、音楽番組に映像美をもたらした。
もともと絵が非常に好きだったので画面の"絵"を大事にした。
しかし舞台のショーのようなテレビ番組が作りたくなり、これまでテレビでやってきた音楽番組の集大成として、日本にはいままでなかったバラエティー・ショーをつくろうと考え、構成者だった岡田教和さんに相談したそうです。
岡田さんは菊田一夫先生の弟子で東宝に関係が深かったので、草笛さんの名前が出てきて、スポンサーの資生堂のイメージともあったので、草笛さんに決まった」はじめて草笛光子に会った井原氏(当時・日本テレビのプロデューサー)は「折り目正しい、家庭向きの感じのいい、危険性のない人なので、テレビスターになり得るという確信を得た」といいます。
こばなし( ・ω・)
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カフェオレのカップを握るファビエンヌの指には、アクアマリンの大きなカボションの指輪が一つ。
吸い寄せられるようにしてついついその美しい宝石に眺め入ってしまった私の視線に気がつくと、彼女はまるで言い訳でもするような口調で「これはもともと母の指輪だったんですけど、ある時、私にすごく悲しいことがあってずっと泣いていたら、もう泣かないでといって自分の指から外して私の指にはめてくれたんです。
私が十四歳の時でした」と、その由来をデスクトップ仮想化しました。
話の途中でマルボロの煙草を取り出し「吸っていいですか」。
「どうぞ」と答えた私にまず一本勧めてから、改めて自分の分を取り出して百円ライターで火をつけた。
煙が染みないようにと細めた目がまたとびきり美しく、まるで女優のようでした。
間もなくボーイフレンドのアントワソヌが、ファビエンヌを迎えにそのカフェに入ってきました。
頭にはヘルメットをかぶり、そして手にはもう一つのヘルメットを抱えながら、彼は私にきちりんと挨拶した。
ファビエソヌと同じような褐色の髪をしていたが、それはファビエンヌのと違ってふさふさとした巻き毛だった。
ひょろりと細長い肢体はファビエンヌよりさらに骨っぽく、けれどそれなりにしっかりと男っぽいものでした。
「大丈夫、これは私が払っとくから」とお姉さんらしく振る舞った私に「本当にいいんですか、すみません」と恐縮するファビエンヌは、彼の手からそのヘルメットをすっと受け取り、そうして二人はもう一度私に「さようなら」といって、楽しそうにじゃれながら店を出ていった。
ジーソズに革ジャンという似たような格好でバイクにまたがり、あっという間にパリの街の中へと消えていった二人。
若さとはまた、なんと美しく伸びやかなものであることでしょうか。
だいぶ昔の番組です。調べてみると意外に楽しいものでv
「光子の窓」
「アメリカの人気番組『ペリー・コモ・ショー』を見せてもらい、こんな番組を作りたいのだが、出てみないかといわれ、挑戦してみようという気になりました。
当時は生放送でしたので、これきりしかないという張りつめた緊張感があり、それがなんともいえないそう快さともなりました。
子どもからお年寄りまで、茶の間の皆様にうけることの難しさを知りましたが瞬間に早替わりすることも身につけました」26年前の「光子の窓」出演当時の思い出を、草笛光子はこう語っていたが、この番組の生みの親・井原高忠氏は「キネコを手に入れて見せたかもしれませんね。
いまははっきり記憶していませんが、ペリー・コモをお手本にしていたことは事実ですから・・・」
と「光子の窓」が誕生するまでの経過を次のように語っていたそうです。
カサ・ヴィセンス
バルセロナの天才建築家ガウディの26歳(1878年)の時の作品で、タイル業者ヴィセンス氏の個人住宅として建てられた。
赤れんがの外壁に、白と緑のタイルで華やかに飾られている。
外壁のデザインはまだ直線的で、民族的様式を取り入れ、タイルの装飾が印象的。
内部は花や葉をモティーフに、華麗に装飾されているが、個人住宅なので中に入れない。
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