公用便から私用便へ
公用便から私用便へも扱いを拡大。
問題は、ここでは「大至急御用状」とされ、例外扱いであった東京・西京間3日限りの官営〈急便〉が、翌1871年(明治4)1月24日の布告では、〈定式急便〉の名の下に来る3月1日から、広く一般向けに毎日実施されようとしていることです。
すなわち、同布告は、従来「飛脚便」を「商家二相任セ置候」ために、なかなか約束の日限どおりに届かず、「殊二急便ニテハ賃銭高直」のため民間の情報交換がきわめて不便であったので、「公私ノ書信簡便自在こ致シ度御趣意ニテ差向東海道筋定式急便」として「来ル3月朔日ヨリ京都マテ三六六時大坂迄三十九時限ノ飛脚毎日差立」るというのである(『駅逓明鑑』)。
従来は特別に仕立てなければならなかった官営〈大至急便〉が、いまや連日差立てでしかも途中の駅で郵便物の授受まで行うという〈定便〉に発展転化し、公用に限定されていたものが、広く私用にも開放されることになったわけで、両者の差はきわめて大きいといわねばならない。